復刻版)tの妄想①「マスター・プログラム」

近い将来、遠い未来? においてプロ名人をも撃ち負かす、
将棋を解読した神の一手を放つ、マスター・プログラム!が完成したなら・・・。

私のかってな妄想を述べさせていただきます。(いいかげんな奴やな。)

その完成されたプログラムは今の序盤、定跡処理をも解決しているでしょうね。
もしかしたら、そのプログラムには定跡、序盤データーは搭載されていないかもしれません。
マスター・プログラムには初手から数十手先も どうなるか、読めない人間の創り出した定跡など
不要だからです。

定跡とは、強い人間が弱い人間のために教えてくれた決まりことだからです。
10手先だけを正確に読む人間の出した最善手数定跡と20手先だけを正確に読む人の最善手数定跡が
同じはずはなく、どちらが効果的かは勝敗が証明するでしょうね。今のプロ定跡は何十手先を
読んだ定跡なんでしょうか。

マスター・プログラムには王を囲う、矢倉 美濃囲い 穴熊のデーターさえ必要ないかもしれません。
囲いとは、弱い者が強い者に簡単に負けないための手段だからです。
 
序盤、定跡、囲いデーターさえ搭載していないマスター・プログラムの誇るものは、
置かれた盤面から相手王を最短、確実に詰ます有効手、絶対最善手を弾きだす探索深度の深さと 
深度先の局面での正確かつ強力な盤面評価値と それを支える自王が絶対に詰まないことを
監視するプログラムのみ。

この自王安全監視プログラムのおかげで必要がなければ居王のまま戦い(それは羽生さん藤井さんが
居王で対局し相手を負かすように)
自王が危険と読むや囲こみますが その守りは合理的シンプル、必要最低限なものかもしれませんね。
なぜなら自王が絶対に詰まないことを読んでいるからです。

もしかしたら一番安全地は相手陣地と判断!攻防しながら入王、と金で固めたりして。
マスター・プログラムに序盤、中盤、終盤、定跡概念の区別はなく、
人間の遥か先を読んだ絶対最善手は理解できない一手でしょうね。
羽生さんの最善手をA級棋士も理解できないように。

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●詳解●

マスター・プログラムに序盤、中盤、終盤、定跡概念の区別はなく、
 序盤、定跡、囲いデーターさえ搭載していない(必要無い)マスタープログラムの誇るものは、
1.置かれた盤面から相手王を最短、確実に詰ます有効手、絶対最善手を弾きだす探索深度の深さと 
2.深度先の局面での正確かつ強力な盤面評価値と 
3.それを支える自王が絶対に詰まないことを監視するプログラムのみ。


この自王安全監視プログラムのおかげで必要がなければ居王のまま戦い
(それは羽生さん藤井さんが居王で対局し相手を負かすように)
自王が危険と読むや囲こみますが その守りは合理的シンプル、必要最低限なものかもしれませんね。 
なぜなら自王が絶対に詰まないことを読んでいるからです。

私は、今のプログラムは初手から終局まで読めない(見えない)為に不要なアルゴリズムが必要?ですが、
将棋を解読した(マスター・プログラム)の構造は、
シンプル(単純で無駄のない)で、強力、合理的なアルゴリズムであると妄想します。


マスター・プログラムには定跡、序盤データは必要ないかもしれません。
マスター・プログラムには初手から数十手先も どうなるか、
読めない人間の創り出した定跡など不要だからです。


定跡とは、強い人間が弱い人間のために教えてくれた決まりことだからです。
10手先だけを正確に読む人間の出した最善手数定跡と
20手先だけを正確に読む人の最善手数定跡が同じはずはなく、
どちらが効果的かは勝敗が証明するでしょうね。
今のプロ定跡は何十手先を読んだ定跡なんでしょうか。


定跡は読みの深さで移り変るものであり、
深い読みだけが浅い読みを訂正できる権利を持っています。
藤井システムも森下システムのように深い読みによって
過去の定跡として闇にほうむられる日がくるかもしれませんね。


マスター・プログラムには王を囲う、矢倉 美濃囲い 穴熊のデータさえ必要ないかもしれません。
囲いとは、弱い者が強い者に簡単に負けないための手段だからです。
もしかしたら一番安全地は相手陣地と判断!攻防しながら入王、と金で固めたりして。
私は、これを「敵陣と金囲い」と名づけました。 (またかいなー・・・(^^;


マスター・プログラムに定跡は必要ないと考えるのは、
人間の読みを超えていること。 人間の定跡を家の基礎としたなら基礎以上の家を
その基礎の上には建てられない。マスタープログラムが登録された定跡データ以上の手を
探索できるのになにゆえに訂正の可能性のある定跡を ありがたがらねばならないのか?


マスター・プログラムには人間の定跡、プロ定跡、アマの定跡、私の創った定跡? の執着、
固定観念はなく、その局面での絶対最善手としての思考探索処理結果のみ。
その思考探索処理結果が人間の定跡手と同じってことはありますが・・・。


将棋における強さとは、相手よりも深く広く正確に読み 相手王を先に詰ます事でしょう。
強さに コンピュータ的、人間的、アマ的、プロ的区別はなく 
相手王を先に詰ませれぱ強いと言うことです。
人間には得意、不得意があり得意な戦法なら考えず、数十手読め  不得意なら悩み、
数手先しか読めないということがおこりますが、
コンピュータに得意、不得意はなくプログラムされた処理を行なっているだけでしょう。

AI将棋も東大将棋も15手前後読んでいるなら、
15手先の局面の評価値が正しい方が有利、勝ちを収めるでしょう。
負けた方は、その局面に至るまでの読みが甘いとなります。


コンピュータは純粋に相手王を詰ます有効手を探索しており、
勝ち負けでいうなら、これらのソフトに勝つなら 
このソフトより深い読みで勝ったことになります。



仮説) 将棋は読みだけでは勝てないか?

定義A)
1、定跡とは、こう指せば有利ではないか、という読みの産物ではないか!
2、戦法とは、こう指せば勝てないか、  という読みの産物ではないか!
3、囲いとは、こう囲えば詰まない、   という読みの産物ではないか!
4、詰めとは、相手王を詰ます、     という読みではないか!
5、必死とは、逃がさずに相手王を詰ます、という読みではないか!

定義B)
1、序盤、中盤、終盤 すべては、読み、読み、読みの一手ではないか!
2、未体験 局面で頼りになるのは、相手よりも深く正確な読みだけではないか!
3、大局観とは、遥か先を見通した読みではないか!

結論) 将棋とは、読みこそがすべてである。



マスター・プログラムは、序盤 中盤 終盤を1つの思考で蒔かない、
初手から思考が序盤の駒組みを形勢、中盤では最短確実、強烈な手を連発し、詰め将棋ルーチンの
いらない終盤を その局面の最善手探索で相手王を詰まし必要ならば必死手を指す。

私の妄想は、一手に数時間かかろうとも思考ルーチンの弾き出した手が、
プロ棋士数十人が束になっても敵わない強さを実現する、ことにあります。



将棋が解読され、そんなのは無理と判明するまで・・・。